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長野市, 長野県, Japan
男三兄弟の真ん中。子供3姫。趣味:いい言葉収集。仕事:長野市でステンレス、鉄でいろいろ作ってる㈱エクセルの社長。

火曜日, 12月 27, 2022

12/27ペリー来航とアメリカ建国と田沼意次


ペリーの黒船が鉄でできた船だったと聞いていたのですが、実は木造を黒く塗っていたのだそうです。



1853年6月3日ペリーが乗っていたサスケハナ号にのって浦賀に現われました。4隻のうち2隻が蒸気船でいた。

アメリカの独立宣言は1776年7月4日、国家承認1783年9月3日、南国戦争から南北統一1865年4月9日。

建国236年。新しい国といいますがまあまあ古いですよね。

1776年は日本では、江戸中期。10代将軍徳川家治。老中田沼意次。

田沼意次といえば賄賂政治家の極悪人という評価が強いようです。清廉潔白で革新的という評価もあるそうです。

8代将軍、紀州藩出身の徳川吉宗の息子家重。言葉をうまく話せない障害があり、吉宗はその子、吉宗から見て孫にあたる家治に期待していました。

そんななか家重の側用人大岡忠光に使えていた田沼意次が実権を握っていきます。

政治に興味がない2人の将軍に変わって政治をしたことから絶大な権力をもったので田沼時代がおこりました。



重農主義から重商主義に変わっていた株仲間積極公認、蝦夷開発、貿易振興、

浅間山の大噴火、天明の飢饉がおこり、また革新的な方法にまわりからよく思われておらず、家重が亡くなるとあっというまに失脚してしまったようです。

その後、反田沼勢力の筆頭、松平定信によち領地を没取され隠居させられ失意のうち70歳で亡くなりました。



田沼を失脚させた松平定信による「寛政の改革」が行われましたが質素倹約を強行した改革は周りの反感をくらい失脚するのです。

作用反作用のように行き過ぎるとまた対局に行き過ぎてしまうという皮肉です。





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