ライト兄弟は自転車屋さんをしながら空飛ぶ研究をしていました。
ライト兄弟よりも10年はやく無人飛行を成功させた二宮忠八という日本人がいたそうです。
そして理論上ライトフライヤー号は飛ばないそうです。強風と類まれ無い兄ウィルバーの操縦技術でライト兄弟は飛ばすことができたんだそうです。
そこから10年後、第一次世界大戦から急速に発展していきます。1903年から30年後にはドイツのフォン・ブラウンでロケット開発がはじまります。
その後ライト兄弟は師匠やライバルに妬まれ飛行機の特許などをめぐり不運な人生を送ります。そんなことをしている間にフランスに技術で抜かれてしましました。そんな中、心労からか兄ウィルバーは腸チフスで亡くなってしまいます。
スミソニアン協会からいじわるされたライト兄弟は一時ライトフライヤー号はイギリスに展示され世界初の有人飛行が世の中に認められたのは45年後でした。
そしてフライヤー号がアメリカに戻ったとき、オーヴィルは同年に亡くなったあとでした。
晩年オーヴィルは飛行機を発明したことを後悔していたそうです。
特許の記念行事に参加したときに最近100年間の10大発明にあえて飛行機を除外したそうです。戦争で飛行機が破壊をもたらしたことを残念に思うと述べていたそうです。
悲劇の歴史を乗り越えて今は事故率0.0009%。483年間毎日登場して1回墜落するそうです。自動車は0.33%。
ノースカロライナ州は東海岸。中学のころアメリカ50州を暗記して同級生と勝負していたことを思い出します。
キティホークはこんなところにあるんですね。
いつか行ってみたいです。
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