今日は13日に金曜日。過去のブログでもけっこう何度も書いているなと(笑)
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不吉なのはフランスとドイツだけみたいです。
ヨーロッパで国の中に国があるところがあります。
バチカンとかサンマリノとかモナコ、アンドラ、リヒテンシュタイン。
なんでそうなったか興味津々です。
そんななか、なんでポルトガルはスペインじゃないのって思う人も多いかなと思い調べてみました。
8世紀からの話を知らないと、ながれがつかめないです。
ローマ帝国に支配されていたヨーロッパがゲルマン人の大移動によって、西ゴート王国と東ゴート王国が成立。スペイン、ポルトガルは西ゴートに所属していましたが、シリアに建国したイスラム王朝「ウマイヤ朝」によって滅ぼされました。
ウマイヤ朝はイスラムではアブー・アルアッパースによって倒されアッバース朝が成立。
756年ウマイヤ朝の代10代の孫アブド・アッラフマーンがペルシアからアフリカ経由でイベリア半島へ来て奪取し、後ウマイヤ朝を再建し彼らはイベリア半島をアル・アンダルスと呼び支配します。
カリフとは、ムハンマドの後継者として、全イスラム教徒を統率した教主兼国王の呼称。
またエジプトカイロでもファティーマ朝が成立カリフを名乗り、アッバース、後ウマイヤ、ファティーマと3カリフが存在し3カリフ時代になりました。
1230年、後ウマイヤ朝が衰退していき小国に分裂、そして滅亡。グラナダに首都にするナルス朝グラナダができます。
718年ごろからレコンキスタ(国土回復運動)がおこり十字軍より400年前に800年イスラムVSキリスト教の戦いがあり、最終的にはキリスト教が勝ちます。
レオン王国の一部が1143年アフォンソ・エンリケスにより独立ポルトガル王国になっていく。
その後、レオン王国とカスティリア王国が同君連合となり、カスティーリャに。
1492年にスペインはイベリア半島最後のイスラム勢力グラナダのアルハンブラ宮殿陥落ナルス朝を滅ぼしレコンキスタを完了させます。
1479年カスティリア王女とアラゴン王子が恋に落ち結婚してスペイン(イスパニア王国)になります。
このことで造船、航海技術に長けていたイスラム文化を吸収。イスラム圏を迂回してアフリカまわりでアジアを目指したことが大航海時代へと突入していきます。
同じくアジア、インドを目指したコロンブスが1492年アメリカ大陸を発見するのも周知の事実です。
スペインがレコンキスタしている間、ポルトガルは交易を頑張りアフリカ、インド、ブラジルなどどんどん植民地化し、香辛料で富を築いていきます。
1543年に種子島に鉄砲伝来したのもポルトガル人です。
ザビエルはスペイン人でしたがポルトガル王の名で
その後、1580年フェリエペ2世によってスペイン併合があり、19世紀にはナポレオンによってぐちゃぐちゃにさえれ、イギリスに統治され、いろいろあり現在のポルトガルになっています。
植民地のブラジル、アフリカから恩恵を受け一時は首都もリオデジャネイロだったときがあったのだとか。
ポルトガルとスペインの成り立ちが分離していったわけではないのでお互いが違う成り立ちだったということです。
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