子曰、朝聞レ道、夕死可矣。
「朝(あした)に道(みち)を聞(き)かば夕(ゆう)べに死(し)すとも可(か)なり」
《「論語」里仁 (りじん) から》朝に人としての大切な道を聞いて悟ることができれば、その晩に死んでも心残りはないという意。
論語も孔子の弟子が書いた書物で、文献学的方法、人文科学的な諸方法を用いて本文批評をすると孔子が言ったことは限りなく少ないということです。又聞きかも知れませんが(笑)
聖書も学術的にはキリストの言った言葉は2つしかないそうです。ほとんどがパウロだという結論です。パウロ神学とも呼ばれています。
人の道とはなんなのかまだわからない自分は悟にはまだまだ時間がかかりますが悟ったとき死んでもいいとなるのでしょうか?
いろいろな解釈はできますが、生まれ変わることができるとも捉えられるのかなとも思いました。
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