先日お邪魔させていただいた二松学舎大学の三島中州について調べてみました。
三島中州は江戸時代末期、倉敷に生まれ備中の聖人山田方谷の私塾「牛麓舎(ぎゅうろくしゃ)」に入り陽明学を学びました。
19歳で塾長になり藩の仕事で忙しい山田方谷の代わりに塾のしつけ係をしていました。23歳のとき津藩で漢学を学び、その後、備中松山藩の藩士になります。
明治維新を迎え新政府の命令で上京し裁判長などをしましたが退官し、この当時西洋学問の急激な流行に危機感を感じ東洋学問の重要性を再認識し今の二松学舎をつくりました。多くの師弟を育成し漢学、東洋学の発展や民法成立に尽力しました。
陽明学についてもっと勉強したいと思います。
陽明学についてもっと勉強したいと思います。
帰りに会社ちかうくの工事現場がライトアップされていてなんだか粋だな感じる今日このごろです。
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