大阪の淀屋橋の近くの日本生命ビルの壁面に碑があります。
懐徳堂は江戸中期、亨保9年(1724)大阪の豪商が出資し三宅石庵を学主に設立されました。中井甃庵(しゅうあん)が幕府にかけより半官半民の学校となりました。
武士しか学べなかった時代に広く商人に道徳教育をしたころはすごいことです。
その目と鼻の先に緒方洪庵の私塾、適塾があります。
緒方洪庵は日本の近代医学の祖といわれ蘭学、蘭医などを教え、適塾で有名なのは福沢諭吉です。
やはり勉強する場所はどこも気持ちがよくリラックスできます。
適塾は有名ですが懐徳堂と2つがのちに大阪大学の前身になっていきます。
適塾のちかくに少名彦神社というトラの神様がいるということで寅年なのでいってきました。
このあたりは適塾があったからなのか薬メーカーの本拠地が多く、日本医療の聖地でもあるそうです。
そこからあるいて中の島へ。咸宜園をつくった廣瀬淡窓の弟の廣瀬旭荘というひとが「天下の貨、浪華の貨七分は船中にあり」と言い、江戸時代、大阪の中之島に財が集まっていたそうです。
適塾のちかくに少名彦神社というトラの神様がいるということで寅年なのでいってきました。
このあたりは適塾があったからなのか薬メーカーの本拠地が多く、日本医療の聖地でもあるそうです。
そこからあるいて中の島へ。咸宜園をつくった廣瀬淡窓の弟の廣瀬旭荘というひとが「天下の貨、浪華の貨七分は船中にあり」と言い、江戸時代、大阪の中之島に財が集まっていたそうです。
0 件のコメント:
コメントを投稿