今日はサンシャインで日本の歴史についての講義を受けました。江戸時代の地図をつくった伊能忠敬。教科書では習いましたがその師匠、またそのまた師匠や時代背景を学びました。伊能忠敬は佐原で婿養子にはいった倒産寸前の会社を立て直し息子に家業をゆずり、江戸で自分より20歳年下の高橋至時(たかはしよしとき)に天文学などを学びました。そして49歳で地図作りの旅にでたのです。
その当時は藩を超える越境は簡単ではなく、幕府に北海道の地図をつくるという名目で許可させたそうです。なぜ地図をつくることになったかというと、天文学として地球の大きさをしるために緯度と経度を知る必要があったからだそうです。師匠の高橋至時の師匠、麻田剛立は天文学をやりたいがために脱藩して医者をしながら天体観測をしてすごい法則を発見し月のクレーターに「アサダ」という名前を残している。そんな偉大な人を私達は知らない。またそのころ大阪では7人の商人、今で言う社長が集まって「懐徳堂」という塾を作っている。また、そこに参加している商人があちこちで私塾を開塾して民間で天文学や暦、蘭学など学んでいたという。またベースとして和算という数学が江戸庶民に日常的に遊び感覚で勉強していたというところから天文学にも通じています。
江戸時代から学ぶことはたくさんあるなとつくづく日本という国はすごいなと思います。
高橋至時は41歳の若さで亡くなります。伊能忠敬は19歳も年下の師匠がなくなってからも地図をつくり続けますが、完成目前で忠敬もなくなります。伊能忠敬は遺言として師匠の隣に墓を立ててほしいと残します。高橋至時はそれほどすばらしい先生だったのでしょう。
歴史は儚いですね。しかし、いろいろな背景を知ると歴史は小説より奇なりだと本当に思います。
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