熊沢 蕃山は、江戸時代初期の陽明学者である。
元和5年(1619)~ 元禄4年(1691)、日本陽明学の父、中江藤樹から学び、岡山藩主池田光政から信頼され政治的学問的手腕が評価され、三千石の番頭に命ぜられた。その後、国学朱子学の林羅山に批判され隠居。いろいろ批判いたため幽閉され晩年は思い通りに生きられず茨城県で没します。
熊沢蕃山がいなくなった岡山藩は陽明学から倒幕の疑いをかけらて一気に朱子学に変貌していきます。そうした流れで現存する世界最古の公立学校「閑谷学校」が作られます。
幕府は革命思想の陽明学を弾圧しました。幕末に向け陽明学が確かに倒幕の原動力になっていったのは事実です。
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