こんな人

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長野市, 長野県, Japan
男三兄弟の真ん中。子供3姫。趣味:いい言葉収集。仕事:長野市でステンレス、鉄でいろいろ作ってる㈱エクセルの社長。

日曜日, 9月 27, 2026

黄禍論とヴェルヘルム2世とヒトラー

 

黄禍論は19世紀に植民地が拡大し、アメリカなどで中国系移民が増加してその反発を背景に出現しました。

ドイツ皇帝のヴェルヘルム2世が日清戦争や義和団事件を境に盛んに言い出しました。

さらに日露戦争で日本がロシアを倒すとアジア系移民の排斥運動へとつながりました。

ドイツは第一次世界大戦で日本がドイツの植民地をぶんどったり、あまり日本に対してよく思っていなかったようです。

しかし、ロシアという共産主義勢力の防波堤として、ドイツと日本が挟み撃ちにするという思惑からヒトラーは日本と同盟を考えました。

お互いロシアに牽制できる位置関係から同盟を結ぶ価値があったと。ヒトラーは人種差別主義ですが日本のことは一定評価していたようです。

真実はわかりませんが、大東亜共栄圏とアジアの植民地解放で日本が戦ったということであれば、黄禍論も白人にとってはまんざらでもなかったんだろうなと。東アジアがもっと仲良く協力できたら黄禍論になったのではないかなと。

今の中国ならよくないが、中華民国ならよかったのかもしれません。

歴史にifはないけれど、先の大戦で日本が植民地解放で戦ったのであれば本当に誇り高いことでした。

ただ、無条件降伏した今は憲法と教育をも破壊されGHQの思惑通りになってしまったのかと思うと残念です。

ドイツは憲法と教育だけは自分たちでつくるという条件で降伏しました。

その違いはとても大きかったと思います。

なんだか今も世界中で移民問題がでて、そうなると自国ファーストになりナショナリズムが加速していく気がします。今は極右がいろんな国で躍進しています。

歴史は繰り返すといいますが、自国を愛することは素晴らしいことだけれども戦争にならなければいいなと思います。


日曜日, 9月 20, 2026

台風25号と燕楽とカツ丼

台風25号(ドゥージェン)が近づいていて東京は雨でした。
カツ丼を食べ歩くカツ丼探究家として、ずっと行きたかった燕楽。
新橋が本店で、のれん分けの千鳥町と池上があるみたいで、日曜日の今日は千鳥町しかやってなかったので東急池上線にのって千鳥町へ。
17時からオープンでした。
カツ丼はネギが多めで、たれも甘めでお肉は脂が多めのロースでとてもおいしかったです。
出来立て熱々の時は味が薄く感じましたが、さめてくるとちょうどよく、つゆだく具合もちょうどよくおいしかったです。
私が最初のお客で、注文から12分で着丼。
千鳥町にくる用事はないですが、わざわざきたかいがありました。
他の二店舗も、とんかつも食べてみたいです。
私が17時にはいってから続々とお客様が増えていきました。
リピ確定です。
おいしいカツ丼は多いですが、また食べたいと思う味はなかなかないのです。
 

火曜日, 9月 15, 2026

実写化と非日常感とルックバック

 昨日、アニメ版ルックバックを見て感銘を受けて、実写の映画をイオンシネマに見に行ってきました。イオンシネマも初めてでわくわくしました。

正直、驚きも感動も薄かったです。

ほぼアニメと同じで、多少肉付けがあったぐらい。

私がアニメで一番感銘をうけたモンタージュ的というかダイジェスト的というか藤野の部屋でマンガを描いている時間が流れ断片的に静止画が季節と共に移っていく部分がほぼなかった。


映像でアニメよりも情報量が多く、また時間も60分が100分になって情報も多かったが、アニメよりも感動はなかった。

季節を超えた作品をつくるのは、とくに秋田いかほ市でのロケだったようで、春夏秋冬をとるのは大変だったかと思います。

雪深い秋田でのリアルな雪。春の桜満開。瞬間的な画像を取ることはむずかしい。

音や映像美はやはり実写に軍配はあがる。

藤野が京本に褒められて雨の中、田舎道をダンスしながら帰るシーンはもっと、あの不思議な踊りを表現してもらいたかった。ロケーションは素晴らしかっただけに残念だ。

あとはアニメでは二人で街にでて、藤野が京本の手をつないでひっぱっていくシーンがたくさんでてくる。そして藤野の主観と京本の主観でお互いがキラキラ楽しんでいる画が幾度と出てくるがそのキラキラ楽しい雰囲気が実写では表現しきれていなかったふうに感じた。

藤野が東京なのかな?そのスタジオでマンガを描いている周りにスタッフがいて、アニメでは一人で書いていたが、今はあんな風にアニメをつくっているんだと知見が広がった。

ただ、藤野が電話でアシスタントに他の人いないかというシーンがなく、あれは京本のように意思疎通する人がいないという大事なシーンだったと思う。

アニメで藤野のスタジオは私は前の茶色いビルを見て、これは山形市なのかなと思っていたが実写では電車が走っていて東京っぽかった。


京本の通っていた大学が山形だっただけみたい。

一時山形によく行っていたのでそのあたりなのかと。遊びに行っていた街は秋田市なのだろうか?前に酒田や鶴岡に行ったとき、鶴岡出身の友達に聞いたら、山形新幹線ではなく新潟まで行って、特急にかほにのって帰ると。それでにかご市とにかほ線があることを知った。いつかにかほ線で旅をすることが私の残りの人生の夢でもある。

最後の世界線のところは、京本がシャークキックをアンケートで応援している場面がカットされていて、思い出の絵画に変わってしまっていた。実写で表現できなかったのか急にアニメーションになる。ところどころ私的には重要な場面がカットされ、日常の肉付けがされて、あの短編の良さが間延びしてしまった感がある。

アニメでは描かれ部分が描かれ、どうだったかの答えはわかったが創造のままのほが面白かった部分もあったのかもしれない。

アニメがなく実写だけだったら面白い映画なのだと思う。

実写自体、郷愁と叙情的でとてもノスタルジックな青春映画だと思います。

でもアニメが素晴らしすぎてしまったんだろう。

アニメにはなかった肉付きがよりリアリティがでて日常感が私は逆に非日常感が薄れてしまって、この作品の田舎だけど、非日常感的な誰でも過ぎ去る青春ではない、それでいてどこか自分の子供時代にも味わったことがある断片的なリアルがある。

私は昨日の今日のファンというか感銘者がこんなことを言っていいのかと思うが、率直に主観的に感じたことです。

月曜日, 9月 14, 2026

振り返ると背中を見るとルックバック

アマプラでアニメの「ルックバック」観た。見終わってから何とも言えない気持ちになってる。 かなり話題になった作品だったようだが知らなかった。



 悲しいというだけでは足りない。大切な人と過ごした時間も、これから続くはずだった日常も、理不尽に失われてしまう。その取り返しのつかなさに、心の置き場所がなくなっている。

ことが起きても残された人はまた日常を過ごしていく、なんともいえない 言語化しきれないやるせない気持ち。

 普段仕事してると感じない感情で、一人でいるとちょっと押しつぶされそうになる。

 この日本映画の何とも言えないモヤモヤさせるハッピーエンドではないこれって何なんだろう。製作者は何を伝えたいんだろう?

あのモヤモヤは、「物語は終わったのに、感情は決着していない」ことから生まれる余韻なのかもしれない。

 「取り返しのつかない喪失を前にした、行き場のない思い」

大切な人がいなくなっても日常は続いてしまう。その残酷さと、一緒に過ごした時間は消えないという温かさが、同時に胸に残って苦しい。


この物語の考察を見ると、作者のやり場のない思いを消化するために描いたと。ルックバックとは過去を振り返る、思い出す、背中を見る、背中を追う、背景を見てほしいと作中にそのような描写がたくさん出てくる。

マンガの話だけあって映像はとても素晴らしかった。

静止画で時がながれていく演出は短時間で話の展開がとても伝わってくる。

二人の濃い思い出が一層この物語を引き立てていく。

同じ部屋で二人が漫画を描きながら、月日が流れていくモンタージュが印象的だった

すばらしいアニメ映画でした。

ちょうど実写の映画が9月11日から上映されているようで見に行こうと思いました。


日曜日, 9月 13, 2026

世界線とパラレルワールドとタラレバワールド

 最近よく世界線という言葉を聞き、どういう意味かわからなかった。

もともと物理学の言葉で、もしも並行世界(パラレルワールド)のことのようです。現実世界から分岐して、互いに干渉しない並行して存在する別の時空や世界のことなんだとか。

相対性理論の時間と空間は一体化して時空と考え、時空を移動するという抽象概念として「世界線」という言葉が作られた。

用は別次元の世界と今の世界の境界線のようなものが世界線なのだと思う。


それを聞いて、私はたまにあのとき別の選択をしたら今どうなっているのだろうと考える。歴史に「タラレバ」をいったらキリがない。人生にも「タラレバ」を持ち込んだらキリがない。

仏教では過去はすべてよかったのだと考える。前後際断という考えがある。

ようは今に生きること。

でもタラレバワールドを考えてします。

右と左の分岐点を右に進んできた。もし左に行っていたらどうなったのだろう。


そんたタラレバワールドの答えをしりたくなるのは、今の人生に満足してないからだろうか。