三大築城家、加藤清正、黒田官兵衛、藤堂高虎。
藤堂高虎は近江の津に生まれ190cmの大男。はじめ浅井長政に仕え、その後7人の主君に仕えました。
幾度と出奔し、豊臣秀長に仕え大出世していきます。秀長亡き後その跡継ぎである「豊臣秀保」(とよとみひでやす)に仕えますが17歳という若さで早世。二人の主君を弔うため高野山で出家。秀吉がその功績を惜しんで還俗(げんぞく:出家した者が元の世俗の人に戻ること)させ、伊予宇和島7万石を与えました。
秀吉亡き後、7人目の主君家康に仕えます。
築城の名人、高虎が作った城は20あまり。和歌山城、大洲城、宇和島城、今治城、膳所城、篠山城、津城、伊賀上野城、江戸城。
外様ながら家康から絶大な信頼をおかれ、自分の寝床である江戸の縄張(なわばり:城の設計)を任せ、また重要な場所の城作りを任せいています。
主君をたくさん変えたと評判は悪いですが、裏切って変えたことは一度もない忠義者だったということです。
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